ミュシャ展(国立新美術館)
『ミュシャ展』(国立新美術館)に行ってきました。一応その昔ポスターやらアールヌーボーのあたりは多少かじってましたが、今回はスラブ叙事詩が見たくて。
何年か前にミュシャ展に行った時、この時はポスター系が目当てだったものの、いざ目にして心に残っていたのは祖国のために描いた油絵でして。ので今回は更にすごいのが来ると聞いてうきうきと。
ちなみに入り口でもらえる作品目録ですが、スラヴ叙事詩の画像一覧が載っているのでもらうべし。白黒ですがこれはいい。
さて、入ってすぐにスラブ叙事詩。
写真やらテレビで大きいことは分かっていましたが本当に大きいし、それにぐるり囲まれるのはなかなか贅沢。(それにしてもよくこれ持ってきましたよね、丸めてらしいけど。あと国立新美術館は天井が高いのでこれだけ巨大作品も飾れるんですよね。)
近くから見て、離れて見て、を繰り返す。
これだけ大きいのでふと振り返って向こう側の作品もまた遠くから見る、なんてことを繰り返しておりました。
その過程で気付いたこと。
例えば、《ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭》や《スラヴ式典礼の導入》では地上の人々と宙に浮く神々が同じ画面に描かれているのだけれど、遠くから見ると神々がくっきり浮き上がって見える。青っぽく描かれているのが神々。《聖アトス山》とかもそう。
地上の人々と神々とを同じキャンバスの中には描くけれど、確実に別世界として描く。
このへんはルネサンス期なんかの宗教画とは大きく異なる点ですかね。(宗教画だと神と人間を同じ世界、もしくは繋がった世界に描いていることが多いような。)科学が発達し始めたた時代だからこそ?
以下、感想をつらつらと。
市井の人々を主役として描いているのがよく分かる。《東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン》、《ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス》などタイトルにある皇帝やフスはどこ?状態。
明らかに焦点が合っているのが、一般の人々。《ベツレヘム礼拝堂で~》の後姿の女性は誰なのだろうか。《クロムニェジーシェのヤン・ミリーチ》で口を塞がれながらも姿勢をぴんと伸ばす女性は何を表して、何を思っているのだろうか。
戦いの悲惨さ、悲壮さも、直接的な戦闘の場面ではなく描くのはその後の青白い遺体の山、静かに嘆く親子で表す。《ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛》ではゆらゆらと立ち上る炎(遠くから見たほうが炎がゆらゆらしている様子がよく分かる)とその後の爆発を示す黒い煙で画面をすっぱりと分断。
《フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー》ではステンドグラスから淡く柔らかな光が差し込む中で、立ち上がったり驚く人をドラマティックに。《ロシアの農奴制廃止》では寒く凍てつくロシアの冬の空気の中、静かに寒さと今後に耐え忍ぶ親子。
大変見ごたえのあったスラブ叙事詩シリーズでした。大満足。
そのあとにもポスターや油絵もそれなりの点数。(事前に買っていた芸術新潮でだいたい載っていたので私はさらっとしか見ませんでしたが。)
見ているとパリ時代とプラハ時代ではガラッと作風が変わったのがよく分かる。プラハに戻ってから、ミュシャはパリ時代の自分の作品をどう思っていたのだろうか。
展覧会自体は大変満足でしたが、あの物販はどうにかならんのか…。
《聖アトス山》のポストカードが欲しかったのだが売り切れていて(それも係員に聞かないとわからず表示がされていない)、《フス派の王~》と全点が描かれているクリアファイルのみ購入。
あと、最後の部屋が撮影可能になっているのもどうかと…。写真を熱心に撮っている人がいると近くまで行ってゆっくり見づらい。口コミやらで宣伝効果を狙っているんでしょうけど。
宝塚花組全ツ・仮面のロマネスク/Exciter
神奈川公演に行って来ました。元横浜市民大好き県民ホール。大好き花組。
そして初の全ツ。
仮面のロマネスクは初見でしたが、「男を~真剣に~」と歌い出してあぁこれか、と。(宝塚あるある)
話は相変わらず突っ込みどころ満載でしたが、ザ宝塚。みりおちゃんかっこいい。こういう悪い男に弱いので、今回の役は好きでした。
そして仙名ちゃん、トップお披露目おめでとうございます!!
若手娘役が多い中、実力派の子がなってくれるのは嬉しい。役は選ぶだろうけど、今回の役は似合ってました。歌うまコンビで耳にお優しくて嬉しい。
あきらさんはあまり出番が少なくて残念だけど渋い感じがよい。
ゆずかれーはこういう素直なボンボンやってもうまいのが恐ろしい。
まいてぃーもかわいいけど、もう少し役の出番があって欲しかった…。
他、娘役さんで可愛いなと思ったのが春妃うららさんでした。あんりちゃんの妹らしい。なんて美女家系。
べーちゃんもこういう年上女性の役似合ってた!品があって苦悩の役。歌もうまくなったような。
しっかし、皆さん軍服似合っていいねー!幕開けの舞踏会のシーンで踊り出した時はさすが花組!と言いたくなった。
舞台は銀橋も盆もないせいか単純でしたね。うん、まぁ仕方ないか…。
そして、ショー!
初演をテレビで見たのだか記憶にあったのだけれどもう楽しいのなんの。テーマソングに入ったときの会場の熱さ。歓声入ってたのはエキサイターだからか全ツだからか。
で、元のが大好きだったので、あぁこのシーンまっつ(元贔屓。未涼亜希さん)がやってたわ、このシーンまあ様だった、あ、ここ彩音さん、ここまっつ…ry となってましたが(宝塚あるある)なんて楽しいの!
藤井先生、このショー作り出していただき本当にありがとうございます。
運良く通路側だったので客席おりで手をタッチしていただけました。初!
あとはトップ3人の客席おりね…なんですか、あの空気。
たった3人でろくに歌も歌ってないのにねっとり濃厚なムンムン空気。あぁいうシーンで会場の空気が本当に温度上がるんじゃないかと思う。
あれだけ客席を盛り上げられるのはすごい。さすが男役の花組。また3人の個性が全然違うからね。渋く瀬戸さん、若くゆずかれー、トップの貫禄みりおちゃん。恐ろしい花組…。
リオのシーンも壮ちゃんとまりんさんの写真があって嬉しかった。辞めた人たちの写真が堂々と使われてるのは珍しいね。
びしっと決めるところは一番後ろの男役までキザり、組長高翔さんも結構踊ってらっしゃって嬉しかった。一時期ケガで出番が減ってらしたけど、最近はさすがダンサー!って感じの踊りをしてらして見ていて嬉しいです。
まいてぃーもキレッキレで。
ということで大変満足な芝居とショーでした。ありがとうございます、花組。
ララランドとミュージカル
少し前になるが、『ララランド』を見た。周りの評価は真っ二つ。
はてさて、という思いで見たが感想はうーん、でした。つまらなくはないけど絶賛!ではない。何がかなぁと思っていたのだけれど、ミュージカルではないのかと。
あちらこちらのミュージカル映画からオマージュされているのだけれど、結果としてできたのはミュージカルではないなぁという感想でした、不思議なことに。(以下、ネタバレを含みます。)
理由はまず主役二人のダンスと歌が抜群にうまいわけではないことか。
いや、エマはちょー可愛いですよ。いつも着てるお洋服が可愛いのなんの。白ブラウス一枚でさえなんという可愛さ。ワンピースもカラフルで素敵。
かたやライアン。あの犬の目とシャツ一枚のかっこよさ。あー、外国人の色気ムンムンってこれだわと納得。
なんだけどね、二人ともいいんだけど、フレッドアステアみたいなひれ伏したくなるダンスや歌の実力ではない。ライアンのハットの持ち方もイマイチ。そのはビシッと持ってくれ。(ヅカヲタの発想)
次に楽曲。
楽曲単体で聞けばいい曲ばかりなのだが、ミュージカルの曲ではないなぁと。気持ちが盛り上がって歌う歌でもないし、いつぞやに日本のミュージカル界のプリンス井上王子が言っていた『歌の始まりと終わりで感情が変わる』歌でもない。
唯一ミュージカルだったのは、エマ扮するミアがオーディションのシーンで歌った箇所。あそこはブラボー!と言いたくなった。
あとはラストですかね。
ミアがデザインしたセブのお店のロゴが出てきたからゾクゾクはしたんですが、あのもう一つの世界のシーン。
どちらの夢だろうか、ミア?セブ?それとも二人とも?
そしてセブがようこそ、と言って弾く一曲。
ゾクゾクするくらいにいいシーンだったのだけれど(昔のアイタタタな恋とか思い出したりもして)、もうあのあとドロドロ不倫劇のスタートとしか思えなくてね…。(やめい)
オマージュしているミュージカルの終わりかたとは随分違うんだよなぁ。
結局翌週、『レ・ミゼラブル』と『巴里のアメリカ人』借りてきてこれぞミュージカル!と一人楽しんでた。
レミゼはwho am I?と幾度となく問いかけ、巴里のアメリカ人は脚本ツッコミどころ満載なのだけれど、歌とダンスでねじ伏せて難しいことは置いておく。テンションあがるのはこちら2作だったなぁ。
ミュージカルって何だろうと考えるとムツカシイけど、大好きだ。
私の名は。
結婚して、A田B子からC本B子になった。
今までいろいろ思うことがあったので記載してみる。
自動車免許証を持っていないので本人確認はパスポート。
婚姻届けを出してから「C本」でのパスポートを取得するまでが1か月近く間があった。
手元にあるのは「A田」のパスポート。でも私の名前は「C本」。
その間に引っ越しもあったので、その際の「本人確認」は「A田」で行った。(何を使ったかは忘れた。確かパスポートはすでに無効扱いされていた)
「本人」は「C本」なのに「A田」のものでも本人とみなされる。みなされないと困るのだが、みなされても「本人」とは…、となかなか不思議な感覚であった。
が、面白がれたのもそれくらい。
実際はなんでこんなに面倒なんだ、と思うことが大半であった。
会社のシステムで片っ端から申請をあげ、銀行名義やらクレジット(2枚)の名義も変更。
社内システムの関係上、この日からこの日の間に銀行口座の名義変更をせねば…と最初に計画。名義変更となると電話だけでは終わらせることができず、銀行店舗(一般社会人があいてる時間に行くのはなかなか難しいネ!)に会社の昼休みに行き、新カードが来るのは一か月後。クレジットカードも電話で申し込んで送付された申請書に記入して返信して…と全てを終わらせるのに2か月くらいかかった。
なんで日本は夫婦別姓が認められてないんだ、と何度思ったことか。最高裁め。
離婚やらも考えると日本全体で一体どれだけの労力が婚姻時の改姓でかかっているのだろうか。
とはいえ会社内では旧姓使用が可能なのでA田のまま。
年末調整などは「C本」で来るのでそのときだけ「C本」のハンコを押す。(「A田」が割と珍しい苗字なので、ハンコは絶対にオーダーであった。が、「C本」はかなりメジャーな苗字なので100均で3つハンコが並んでた!これは感動)
挙式関係も「A田」でほとんど署名をするので、入籍してから半年経つが「C本」で呼ばれるのはせいぜい病院くらい。
全く「C本B子」の字面に慣れない。
今の会社にしばらくいるつもりだし、会社では名前を変更する予定もないので私の名前が「C本」であることに慣れるのはいつになるだろうか。
自分を表すのに「A田サン」と言うことはあっても「C本サン」と言うことはまだないし違和感がある。
それはそれで問題なのかもしれないが、30年近く使っていた「A田」である私とサヨナラするのもなかなか難しい。というよりあまりしたくない。
いつか「C本」に慣れる日が来るのだろうか。
寂しいような、憧れるような。
のんびりとそんな日を待ってみよう。
報告。
久々のブログ。
病気云々とは全然関係ないお話ですが、人生でそうそうない機会だろうから今の思いを残しておこうと思う。
(ちなみに体調は暑くなったせいか久々にこの間貧血を起こしました。もやは初夏の風物詩)
はてさて、なぜかはよくわからないが結婚することにした。
人生の大半自分は結婚しないのだと思っていた。一番身近にあった結婚がほぼ破綻してたところしか見ていなかったからだ。
しかし、気付けば入籍まであと1ヶ月予定。
何故信条を変更したかと言われれば一緒に住むことにしたから、じゃぁ籍も入れちゃうか、そんなノリである。
いざ結婚を決めてみてやるべきことがありすぎることに驚く。
まず引っ越し関連。相手が現在一人暮らしで契約時期の問題があったため、3月末に探すことになった。都内は激戦区であることが身にしみた。
私は実家におり、これから仕事が忙しいため落ち着く夏頃に引っ越し予定。それまで彼は一人ゆうゆう最後の独身生活。
が、あとで思えば一番最初にここが決まってしまって楽であった。結婚式関連と同時並行だと大変忙しいらしい。
次に手続き関係。
婚姻届はいいとして、何が面倒って苗字が変わること。
なんで日本は夫婦別姓じゃないんだ最高裁め、と最近出た判決に憤る。21世紀にもなって、全く、男性側もこの苦労を知ってくれ。
一応相手は私の姓にする?とも言ってくれたが、色々なところと揉めそうなのでやめておいた。
自分の現在の苗字が大好き!というわけでもないが、(大半の場合)女性側が苗字を変えなければいけないというこの現状が不満である。
最高裁め。
会社では旧名表記ができるのでそうする予定であるが、口座名義は変えないといけない。
銀行に聞いてみたところ、免許証がなければパスポートが必要と。(私は免許を持っていません)
どうせあと2年で切れるからいいかとは思うが、パスポート更新は申請と受け取りの2回行く必要がある。面倒だ。
で、そのパスポート申請には戸籍謄本が必要で、入籍後に新苗字の戸籍謄本ができるには数日かかる、と言われると(戸籍システムが日次処理ではなく週次なんですかね!)一体何度役所に行かなければいけないんだ。
で更に社内人事システムを確認すると毎月初日時点の名前の口座名義人で支払いがされるので変更タイミングに注意すること、と書かれていた。もはやパズルだ。思わずフローチャートを書いた。
そして結婚関連買い物諸々。
ノリみたいなもんで決まった結婚であったので、当然婚約指輪パカー(箱をあける)のような出来事はなく、私の望むものを買っていただいた。当初はなくてもいいかと思っていたが、母親に馬鹿者と怒られた。
お返しは相手の希望で腕時計。
お互いの家族とそれぞれお会いして、顔合わせは食事会でいいかと言って「都内 顔合わせ食事会 おすすめ」で必死にググッて予約。
最大の関門は結婚式である。
社内結婚ではあるが上司は呼ばない、仲の良い人だけでいいかというところまでは決まったがそこから先はまるで決まらない。
結婚する気がなかったので「理想の結婚式(はーと)」みたいなものもなく、まずは参考にと某雑誌を買ってみた。電話帳並みの、物理的にも精神的にも人にダメージを与えるアレ。3分の2は広告、見ているうちにどこも同じに見えてきた。
ラチがあかず、先人たちの勧めによりゼク○ィカウンターに行った。リク○ート怖い……と怯えていた二人であるが、担当の方の感じが大変良かったのとさくさくと決まっていく様子にプロってすごい、と実感。ものの見事に90分で要件定義が終了し、式場見学3件の予約まで完了。あれでいくらの紹介料が式場からリク○ートに、とは考えてはいけないのだろう。
今後行く予定の式場見学を前にやはり先人たちにアドバイスを聞いたところ、皆様色々教えてくださいました。ありがとうございます。話を聞けば聞くほど当初の見積もりって意味あるのか?と疑問になる。
ともあれ式場見学はこれから。結婚指輪はまだ買っていないし、新居に運びこむ予定の二人用の家具類も買っていない。
やらなければいけないことは色々あるが、人生一度しかないこのとき。
既婚者の友人の言葉、「結婚式なんて人生の文化祭だからね!楽しまないと!」の助言が大変頼もしい。
その心意気でこれからの数ヶ月楽しもうと思います。
身体のこと①
身体のこと。
最初に大病(?)を患ったのは中学生の頃のこと。
昔からよく病院に通う子であった。小児科だったり皮膚科だったりで、病院の中には顔馴染みの看護婦さんがたくさんいた。家には薬が色々常備されていたし、皆勤賞とはとんと縁がなかった。
とは言っても手術やら入院やらの大病は患ったことがない。中途半端に弱い。
中学受験をした身であるが、小学校六年生のときにはストレスで蕁麻疹及び軽い喘息を発症させ、朝晩薬を飲み続けていた。
無事に入学した中学ではバスケ部に入部したものの異様に体力がなく、夏場真っ先に貧血を起こして外で休む子であった。(今思うと、この頃から症状のはしくれみたいなのがあったのかもしれない) 運動は不向きと判断して中学三年の後半からは新聞部に変更したが。(中高一貫校でした)
中学のときに戦っていた病気は「特発性側わん症」である。
背骨が曲がっている病気で、私の場合は前から見て「く」の字になっている。角度は30度後半であったか。
中学受験に備えてインフルエンザの予防接種をしたときに小児科の医師に発見され、受験後に大学病院の整形外科に通うことになった。
現在の医学では原因は解明されていません、一度戻った骨は元に戻りません、と医師の宣言になかなか驚いたことは覚えている。
ついでに、背骨がまっすぐになったら背伸びますかね、と聞いたらナンセンスですねと苦笑された。失礼なっ。
角度がもっと強くなると内蔵に負担がかかる可能性があるので、その場合は全身麻酔の手術と言われた。
これ以上曲がらないようにするのが基本方針で、樹脂と金属でできた装具をがっちりと四六時中つけ、冬は暖かくて良かったが夏はひたすら暑かった。熱が逃げないのである。
体育の時は外して良かったが、見た目にいかつい装具を級友にみられるのは抵抗があり、初々しい中学一年生の初期は保健室で着替えていた。その後そんな恥じらいも消え去るのが女子校である。
成長期が終わればこれ以上曲がることもないということで、中学三年生の頃に装具生活は終了した。
役目を終えた装具くんは捨てに捨てられず、ずっと我が家の片隅でポスター入れとなっていたが二年前にようやく捨てた。
背骨が曲がっているので左右でかかる力が異なり、腰を痛めやすい。腰に爆弾あってー、なんて冗談混じりに言っていたが、もっと爆弾だったのは血液でした。
(続く)
グエルチーノ展
グエルチーノ展に行ってきました。@国立西洋美術館
http://www.tbs.co.jp/guercino2015/
全然知らない画家だったんですが、面白かった。
まず人気があまりないせいか空いていてのんびり見られる!
これって結構重要なことです。自分と絵の間に人がわんさかいるか、絵と一対一で向き合えるか。
さて、中身。
宗教画パレードなんですが、まず良かったのが《聖母子と雀》。
さすが宗教革命の時代。
より親しみやすい母子像として描かれ、キリストも赤ちゃんのようです。
先週、ボッティチェリ展@文化村に行ってきたんですが、こちらはまだ聖母子のキリストが神らしく、少々憎らしい顔で描かれているものが多かったです。
雀はキリストの受難の印。それにしても柔らかい絵でした。
とても良かったもの①が下の絵。
《キリストから鍵を受け取る聖ペテロ》
写真では全くわかりませんが、これ378×222cmです。
ものすごい迫力でした。
天上から緞帳をめくる天使が飛び出てくるかのよう。
「聖ペテロとその後継者である教皇が神意による支配の正当性を強調している」(図録より引用)絵だそうです。
宗教改革で荒れ狂うカトリック教会が対プロテスタントを意識しているのでしょうが、これも教会用の絵。
文字を読めない人々にとって、これだけの迫力の絵があれば驚いて神を信じるんだろうな、と思いました。
果たしてどの高さにあった絵かわかりませんが、ちょっとかがんで見ると天使に覆い被せられそうな気さえしました。
あとはよくまぁこれだけの大きな絵を運んできてくれたな、とも。
三点目が《聖母被昇天》。
聖書の記述はありませんが、外伝に確か載っている箇所。聖母が昇天していくシーンですね。
絵画では結構描かれています。
私も聖母被昇天は好きなんですが、これはまた珍しい構図だな、と。
聖母がぐんぐん天へ登っていくシーンを共に見上げるか、体験するかのような構図。
聖母も美しい。
頭の周りの星は何かと思っていたら「ヨハネの黙示録」からの引用で、十二の星の冠だそう。
とりあえず3点だけ書きましたが、全体的にはとっても満足でした。
これだけ巨大祭壇画を持ってくることもそうそうないでしょうし、これは図録やPC越しでは分からない迫力なので是非見に行くことをオススメします。
5月31日まで。
ちなみに絵は図録をデジカメで撮影したものです。
まずいかな・・・。