備忘録

都内在住SEのアラサー。PNH持ち。好きなこと、思うことを記録。映画、美術館、宝塚がメイン。。

報告。

久々のブログ。

病気云々とは全然関係ないお話ですが、人生でそうそうない機会だろうから今の思いを残しておこうと思う。

(ちなみに体調は暑くなったせいか久々にこの間貧血を起こしました。もやは初夏の風物詩)

はてさて、なぜかはよくわからないが結婚することにした。

人生の大半自分は結婚しないのだと思っていた。一番身近にあった結婚がほぼ破綻してたところしか見ていなかったからだ。

しかし、気付けば入籍まであと1ヶ月予定。

何故信条を変更したかと言われれば一緒に住むことにしたから、じゃぁ籍も入れちゃうか、そんなノリである。

いざ結婚を決めてみてやるべきことがありすぎることに驚く。

まず引っ越し関連。相手が現在一人暮らしで契約時期の問題があったため、3月末に探すことになった。都内は激戦区であることが身にしみた。

私は実家におり、これから仕事が忙しいため落ち着く夏頃に引っ越し予定。それまで彼は一人ゆうゆう最後の独身生活。

が、あとで思えば一番最初にここが決まってしまって楽であった。結婚式関連と同時並行だと大変忙しいらしい。

次に手続き関係。

婚姻届はいいとして、何が面倒って苗字が変わること。

なんで日本は夫婦別姓じゃないんだ最高裁め、と最近出た判決に憤る。21世紀にもなって、全く、男性側もこの苦労を知ってくれ。

一応相手は私の姓にする?とも言ってくれたが、色々なところと揉めそうなのでやめておいた。

自分の現在の苗字が大好き!というわけでもないが、(大半の場合)女性側が苗字を変えなければいけないというこの現状が不満である。

最高裁め。

会社では旧名表記ができるのでそうする予定であるが、口座名義は変えないといけない。

銀行に聞いてみたところ、免許証がなければパスポートが必要と。(私は免許を持っていません)

どうせあと2年で切れるからいいかとは思うが、パスポート更新は申請と受け取りの2回行く必要がある。面倒だ。

で、そのパスポート申請には戸籍謄本が必要で、入籍後に新苗字の戸籍謄本ができるには数日かかる、と言われると(戸籍システムが日次処理ではなく週次なんですかね!)一体何度役所に行かなければいけないんだ。

で更に社内人事システムを確認すると毎月初日時点の名前の口座名義人で支払いがされるので変更タイミングに注意すること、と書かれていた。もはやパズルだ。思わずフローチャートを書いた。

そして結婚関連買い物諸々。

ノリみたいなもんで決まった結婚であったので、当然婚約指輪パカー(箱をあける)のような出来事はなく、私の望むものを買っていただいた。当初はなくてもいいかと思っていたが、母親に馬鹿者と怒られた。

お返しは相手の希望で腕時計。

お互いの家族とそれぞれお会いして、顔合わせは食事会でいいかと言って「都内 顔合わせ食事会 おすすめ」で必死にググッて予約。

最大の関門は結婚式である。

社内結婚ではあるが上司は呼ばない、仲の良い人だけでいいかというところまでは決まったがそこから先はまるで決まらない。

結婚する気がなかったので「理想の結婚式(はーと)」みたいなものもなく、まずは参考にと某雑誌を買ってみた。電話帳並みの、物理的にも精神的にも人にダメージを与えるアレ。3分の2は広告、見ているうちにどこも同じに見えてきた。

ラチがあかず、先人たちの勧めによりゼク○ィカウンターに行った。リク○ート怖い……と怯えていた二人であるが、担当の方の感じが大変良かったのとさくさくと決まっていく様子にプロってすごい、と実感。ものの見事に90分で要件定義が終了し、式場見学3件の予約まで完了。あれでいくらの紹介料が式場からリク○ートに、とは考えてはいけないのだろう。

今後行く予定の式場見学を前にやはり先人たちにアドバイスを聞いたところ、皆様色々教えてくださいました。ありがとうございます。話を聞けば聞くほど当初の見積もりって意味あるのか?と疑問になる。

ともあれ式場見学はこれから。結婚指輪はまだ買っていないし、新居に運びこむ予定の二人用の家具類も買っていない。

やらなければいけないことは色々あるが、人生一度しかないこのとき。

既婚者の友人の言葉、「結婚式なんて人生の文化祭だからね!楽しまないと!」の助言が大変頼もしい。

その心意気でこれからの数ヶ月楽しもうと思います。

身体のこと①

身体のこと。

最初に大病(?)を患ったのは中学生の頃のこと。

昔からよく病院に通う子であった。小児科だったり皮膚科だったりで、病院の中には顔馴染みの看護婦さんがたくさんいた。家には薬が色々常備されていたし、皆勤賞とはとんと縁がなかった。

とは言っても手術やら入院やらの大病は患ったことがない。中途半端に弱い。

中学受験をした身であるが、小学校六年生のときにはストレスで蕁麻疹及び軽い喘息を発症させ、朝晩薬を飲み続けていた。

無事に入学した中学ではバスケ部に入部したものの異様に体力がなく、夏場真っ先に貧血を起こして外で休む子であった。(今思うと、この頃から症状のはしくれみたいなのがあったのかもしれない) 運動は不向きと判断して中学三年の後半からは新聞部に変更したが。(中高一貫校でした)

中学のときに戦っていた病気は「特発性側わん症」である。

背骨が曲がっている病気で、私の場合は前から見て「く」の字になっている。角度は30度後半であったか。

中学受験に備えてインフルエンザの予防接種をしたときに小児科の医師に発見され、受験後に大学病院の整形外科に通うことになった。

現在の医学では原因は解明されていません、一度戻った骨は元に戻りません、と医師の宣言になかなか驚いたことは覚えている。

ついでに、背骨がまっすぐになったら背伸びますかね、と聞いたらナンセンスですねと苦笑された。失礼なっ。

角度がもっと強くなると内蔵に負担がかかる可能性があるので、その場合は全身麻酔の手術と言われた。

これ以上曲がらないようにするのが基本方針で、樹脂と金属でできた装具をがっちりと四六時中つけ、冬は暖かくて良かったが夏はひたすら暑かった。熱が逃げないのである。

体育の時は外して良かったが、見た目にいかつい装具を級友にみられるのは抵抗があり、初々しい中学一年生の初期は保健室で着替えていた。その後そんな恥じらいも消え去るのが女子校である。

成長期が終わればこれ以上曲がることもないということで、中学三年生の頃に装具生活は終了した。

役目を終えた装具くんは捨てに捨てられず、ずっと我が家の片隅でポスター入れとなっていたが二年前にようやく捨てた。

背骨が曲がっているので左右でかかる力が異なり、腰を痛めやすい。腰に爆弾あってー、なんて冗談混じりに言っていたが、もっと爆弾だったのは血液でした。

(続く)

グエルチーノ展

グエルチーノ展に行ってきました。@国立西洋美術館

http://www.tbs.co.jp/guercino2015/

全然知らない画家だったんですが、面白かった。

まず人気があまりないせいか空いていてのんびり見られる!

これって結構重要なことです。自分と絵の間に人がわんさかいるか、絵と一対一で向き合えるか。

さて、中身。

宗教画パレードなんですが、まず良かったのが《聖母子と雀》。

さすが宗教革命の時代。

より親しみやすい母子像として描かれ、キリストも赤ちゃんのようです。

先週、ボッティチェリ展@文化村に行ってきたんですが、こちらはまだ聖母子のキリストが神らしく、少々憎らしい顔で描かれているものが多かったです。

雀はキリストの受難の印。それにしても柔らかい絵でした。

とても良かったもの①が下の絵。

《キリストから鍵を受け取る聖ペテロ》

写真では全くわかりませんが、これ378×222cmです。

ものすごい迫力でした。

天上から緞帳をめくる天使が飛び出てくるかのよう。

「聖ペテロとその後継者である教皇が神意による支配の正当性を強調している」(図録より引用)絵だそうです。

宗教改革で荒れ狂うカトリック教会が対プロテスタントを意識しているのでしょうが、これも教会用の絵。

文字を読めない人々にとって、これだけの迫力の絵があれば驚いて神を信じるんだろうな、と思いました。

果たしてどの高さにあった絵かわかりませんが、ちょっとかがんで見ると天使に覆い被せられそうな気さえしました。

あとはよくまぁこれだけの大きな絵を運んできてくれたな、とも。

三点目が《聖母被昇天》。

聖書の記述はありませんが、外伝に確か載っている箇所。聖母が昇天していくシーンですね。

絵画では結構描かれています。

私も聖母被昇天は好きなんですが、これはまた珍しい構図だな、と。

聖母がぐんぐん天へ登っていくシーンを共に見上げるか、体験するかのような構図。

聖母も美しい。

頭の周りの星は何かと思っていたら「ヨハネの黙示録」からの引用で、十二の星の冠だそう。

とりあえず3点だけ書きましたが、全体的にはとっても満足でした。

これだけ巨大祭壇画を持ってくることもそうそうないでしょうし、これは図録やPC越しでは分からない迫力なので是非見に行くことをオススメします。

5月31日まで。

ちなみに絵は図録をデジカメで撮影したものです。

まずいかな・・・。

久々に。

久々にブログを書くことにした。折角なので以前の記事も残しているが、1番最初は大学生の頃らしい。

久々に読み返してみたが、卒論とかサークルとか懐かしい単語があった。

さて、現在の私。

相変わらず横浜市在住、都内の片隅でSE。もう入社6年目。

もうすぐ二十代ラスト。

大学では西洋美術史を専攻していたので、美術大好き。ただし見る専門。描くのは会社の飲み会でお絵かきしりとり的なものをやって失笑されたレベル。

あとは映画や宝塚や読書も。基本的にはインドア。

このあたりにあまり変化はなかったけれど、ここ数年で良くも悪くも影響を受けているのは持病の発覚か。

記録と共有のためにもこの辺りの話を少しずつ綴ることにします。

目指せ週一更新。

映画の何にひかれるか。

久々にブログを書いてみようか、という気になったので、書いてみる。

最近あまり言語化していないので少し言語化の癖をつけようと思う。

ここ最近は、あまり美術館に行っていない。

好みのものがないのだ。

私の好みは偏っていて、ルネサンスの宗教画がどストライクに好み。

基準は簡単。作品の中に物語があるかどうか。

ジョットとかも好きだし、レンブラントとかそのへんくらいまでも好き。

西洋美術史の中では結構花の時代だと思っているのだが、どうやらあまりそのへんの展覧会というのは開かれない。

日本美術史は知識がないので楽しみ方がわからないのと、どうもキュンキュンこない。

印象派は楽しみ方が分からない。(大学時代のゼミの教授がそのへんご専門の方だったので、知識はちょろちょろあるんだが)

最近はようやく現代美術の楽しみ方もわかってきたのだが、あまりにぶっ飛んでいると分からん。

どちらかと言えばこの数ヶ月は映画。

今年の5月末まで所属していた部署の上司がかなりの映画好きで、映画を見るたびに元上司に報告メールをしている気がする。

映画は何が好きなのか。何を基準としているのか。

一つの基準がアカデミー賞美術賞を撮っているもの。

美術賞をとる作品はどれも映画の中の世界がビジュアルとして構築されている。

それを見るのが好き。

現実とは違うファンタジーの世界であったり、現実の続きなのにしっかりとその映画の世界へ連れて行ってくれる。

すごいよなぁ。ほんのワンシーンがずっと残って、その映画のことを考えると1番に思い出されるんだから。

あとは、ミュージカル映画

雨に唄えば』を先週ようやく見たのだが、非常によい映画であった。

雨の日がほんの少しだけ楽しくなったし、ほんの3分であれだけ人を幸せにできるというのはミュージカルの力だ。

最近のミュージカルも結構見てます。

ベストは「シカゴ」と「ムーラン・ルージュ」。

歌にダンス、舞台装置、キャスト。

すべてがパーフェクトに揃って映像の力が発揮されるのがミュージカル。

こう書いていくと分かるが、どうも私は視覚的に訴えてくるものが好きらしい。

音楽も色々聞くけれど、PVが好きで入るものもある。GAGAはそうだし。

眼を楽しませるということを忘れないでいたい。

楽しむ心を持ち続けるくらいの余裕はもたないと。

なんだかまとまりのない文章になってしまった…。

フェルメール 《地理学者》 と オランダ・フランドル絵画展

フェルメール展へ。

お目当てはもちろんフェルメールの《地理学者》。これの対と言われる《天文学者》を以前ルーブル美術館で見たときに感動したため。

フェルメール《天文学者》

フェルメール《地理学者》

フェルメール《地理学者》

フェルメール天文学者

さすがのフェルメール

立体的で、窓からの光で照らされている部分が本当に明るい。どこに光が当たっているかわかる。

あとは、フェルメールの作品どれにも共通していることだけれど、細部まできっちりと描かれていて、まるで枠の向こうの世界を覗いているかのよう。

他の作品と見比べるとわかる。緻密。リアリティーさが他と格段に違う。

ちなみにこの二つの作品のモデルは同一人物との見方もあるらしい。

確かに似ていますもんね。地理学者と天文学者。どちらも海の覇権を握ったオランダでは重要な職業だったんでしょう。

あと、へぇと思ったのが、着ている服が着物だそうで。たしかに!

(そういやスターウォーズジェダイが着ているのも確か着物がモデル。

西洋人から見ると何か惹かれるモノがあるんでしょうかね)

他にも気になる作品がいくつか。

レンブラントの《サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ》

レンブラント《サウル王の前で竪琴を弾くダヴィデ王》

レンブラントはあまり詳しくないのだけれど、さすが光と闇の魔術師、レンブラント

若いときの作品らしいですが、陰影が素晴らしい。

市民社会オランダ、と思ったのが、トーマス・ド・ケイザーの様式《ニ匹の犬を従えた馬に乗る男》

(画像は見つけられませんでした)

どっからどう見ても、フェルメールの《カール5世》

王と同じ形式で一市民が描かれる時代になったのね、と思ってしまいました。

ティツィアーノ、《猟犬を連れたカール5世の肖像画》

ティツィアーノ《猟犬を連れたカール5世の肖像画

全体的には満足。

年末にはまたBunkamuraフェルメール展が開催されるらしいので楽しみにしています。

あとは、レンブラントのお勉強をしたいな。

『アルフォンス・ミュシャ展』三鷹市美術ギャラリー

テレビにてミュシャ展の宣伝を見たので、行ってみました。

一応、大学時にポスターの歴史の授業をとって、ミュシャについて軽く調べたのと、アール・ヌーヴォーの話もちょこちょこ調べたことがあったので、多少の下知識はあり。

ミュシャ、と一目で分かるポスターはキレイ。ずいぶん多くのものをデザインしていたんだなぁと。

似ているものも多いけど、色々なものを女性に例えている。花はもちろん、音楽・絵画などの概念、月、太陽、明けの明星などの天体、季節、12ヶ月 etc

ポスターのデッサンも同時に展示されていたものもあったのだけれど、デッサンのほうが色いいな、と思うものも少々。

ポスターの印刷の限界なのか、それとも年月が経って色があせてしまったのかは分かりませんけど。

とはいっても、今回観に行った理由は、テレビで見たときにミュシャの油絵が面白そうだったから。

主に油絵を描いていたのは、ポスターで有名になる前と、有名になったあとに故郷のチェコに帰ってから。

有名になる前の作品は、歴史画や聖母子像などわりとメジャーな分野な作品。聖母子は素敵だった。

しかし、それ以上に響いてきたのが、チェコに帰ってからの作品。

民族自決、のようなメッセージ色が強い作品が多かったのだが、ポスターを描いていた頃から10年も経たぬうちにこんな作品を描いたのか…と。

戦場の暗い絵もあったし、チェコの歴史上の人物と独立、とか英知、とか概念を組み合わせたものがあった。プラハ市民会館市長ホールの原画、というやつです。

これがすごかった。

連作で、ミュシャっぽくなくて、でもすごく力があった。ポスターよりこっちのほうが心に残る。

美術展に行ってよかった、と思った瞬間。

ということで、作品自体は非常に満足。作品自体はね。

この展覧会のマイナス点は、三鷹でやったことか。

まず会場の広さと作品数が合ってない。もう少し作品は間隔をあけて展示していただきたい。

通路も狭い。

あとは、普段はあまり人が来ないのか、グッズ売り場のレジが一つしかない&狭いために、大行列。

初めて見たぞ、グッズ売り場での長蛇の列って。ポストカード買いましたけどね。

(しかし、ポストカードも、ポスターのミュシャっぽい柄しかなくて非常に残念。図録を買う気にはならないし)

それでも、普段上野や六本木のような巨大美術館ではあまり見ない、中高生とか家族連れのような、ふらっと気軽によってみました、みたいな人が結構多かったのは、いいことだと思う。

うーん、美術館に行くことのハードルを下げることと、会場の大きさと、展覧会の質。この3つのバランスをとるのって難しいのだろう。