備忘録

都内在住SEのアラサー。PNH持ち。好きなこと、思うことを記録。映画、美術館、宝塚がメイン。。

ミュシャ展(国立新美術館)

ミュシャ展』(国立新美術館)に行ってきました。一応その昔ポスターやらアールヌーボーのあたりは多少かじってましたが、今回はスラブ叙事詩が見たくて。

何年か前にミュシャ展に行った時、この時はポスター系が目当てだったものの、いざ目にして心に残っていたのは祖国のために描いた油絵でして。ので今回は更にすごいのが来ると聞いてうきうきと。

 

ちなみに入り口でもらえる作品目録ですが、スラヴ叙事詩の画像一覧が載っているのでもらうべし。白黒ですがこれはいい。

 

さて、入ってすぐにスラブ叙事詩

写真やらテレビで大きいことは分かっていましたが本当に大きいし、それにぐるり囲まれるのはなかなか贅沢。(それにしてもよくこれ持ってきましたよね、丸めてらしいけど。あと国立新美術館は天井が高いのでこれだけ巨大作品も飾れるんですよね。)

 

近くから見て、離れて見て、を繰り返す。

これだけ大きいのでふと振り返って向こう側の作品もまた遠くから見る、なんてことを繰り返しておりました。

その過程で気付いたこと。

例えば、《ルヤーナ島でのスヴァントヴィート祭》や《スラヴ式典礼の導入》では地上の人々と宙に浮く神々が同じ画面に描かれているのだけれど、遠くから見ると神々がくっきり浮き上がって見える。青っぽく描かれているのが神々。《聖アトス山》とかもそう。

地上の人々と神々とを同じキャンバスの中には描くけれど、確実に別世界として描く。

このへんはルネサンス期なんかの宗教画とは大きく異なる点ですかね。(宗教画だと神と人間を同じ世界、もしくは繋がった世界に描いていることが多いような。)科学が発達し始めたた時代だからこそ?

 

以下、感想をつらつらと。 

市井の人々を主役として描いているのがよく分かる。《東ローマ皇帝として戴冠するセルビア皇帝ステファン・ドゥシャン》、《ベツレヘム礼拝堂で説教をするヤン・フス》などタイトルにある皇帝やフスはどこ?状態。

明らかに焦点が合っているのが、一般の人々。《ベツレヘム礼拝堂で~》の後姿の女性は誰なのだろうか。《クロムニェジーシェのヤン・ミリーチ》で口を塞がれながらも姿勢をぴんと伸ばす女性は何を表して、何を思っているのだろうか。

戦いの悲惨さ、悲壮さも、直接的な戦闘の場面ではなく描くのはその後の青白い遺体の山、静かに嘆く親子で表す。《ニコラ・シュビッチ・ズリンスキーによるシゲットの対トルコ防衛》ではゆらゆらと立ち上る炎(遠くから見たほうが炎がゆらゆらしている様子がよく分かる)とその後の爆発を示す黒い煙で画面をすっぱりと分断。

《フス派の王、ポジェブラディとクンシュタートのイジー》ではステンドグラスから淡く柔らかな光が差し込む中で、立ち上がったり驚く人をドラマティックに。《ロシアの農奴制廃止》では寒く凍てつくロシアの冬の空気の中、静かに寒さと今後に耐え忍ぶ親子。

 

大変見ごたえのあったスラブ叙事詩シリーズでした。大満足。

そのあとにもポスターや油絵もそれなりの点数。(事前に買っていた芸術新潮でだいたい載っていたので私はさらっとしか見ませんでしたが。)

見ているとパリ時代とプラハ時代ではガラッと作風が変わったのがよく分かる。プラハに戻ってから、ミュシャはパリ時代の自分の作品をどう思っていたのだろうか。

 

展覧会自体は大変満足でしたが、あの物販はどうにかならんのか…。

《聖アトス山》のポストカードが欲しかったのだが売り切れていて(それも係員に聞かないとわからず表示がされていない)、《フス派の王~》と全点が描かれているクリアファイルのみ購入。

あと、最後の部屋が撮影可能になっているのもどうかと…。写真を熱心に撮っている人がいると近くまで行ってゆっくり見づらい。口コミやらで宣伝効果を狙っているんでしょうけど。