備忘録

都内在住SEのアラサー。PNH持ち。好きなこと、思うことを記録。映画、美術館、宝塚がメイン。。

身体のこと①

身体のこと。

最初に大病(?)を患ったのは中学生の頃のこと。

昔からよく病院に通う子であった。小児科だったり皮膚科だったりで、病院の中には顔馴染みの看護婦さんがたくさんいた。家には薬が色々常備されていたし、皆勤賞とはとんと縁がなかった。

とは言っても手術やら入院やらの大病は患ったことがない。中途半端に弱い。

中学受験をした身であるが、小学校六年生のときにはストレスで蕁麻疹及び軽い喘息を発症させ、朝晩薬を飲み続けていた。

無事に入学した中学ではバスケ部に入部したものの異様に体力がなく、夏場真っ先に貧血を起こして外で休む子であった。(今思うと、この頃から症状のはしくれみたいなのがあったのかもしれない) 運動は不向きと判断して中学三年の後半からは新聞部に変更したが。(中高一貫校でした)

中学のときに戦っていた病気は「特発性側わん症」である。

背骨が曲がっている病気で、私の場合は前から見て「く」の字になっている。角度は30度後半であったか。

中学受験に備えてインフルエンザの予防接種をしたときに小児科の医師に発見され、受験後に大学病院の整形外科に通うことになった。

現在の医学では原因は解明されていません、一度戻った骨は元に戻りません、と医師の宣言になかなか驚いたことは覚えている。

ついでに、背骨がまっすぐになったら背伸びますかね、と聞いたらナンセンスですねと苦笑された。失礼なっ。

角度がもっと強くなると内蔵に負担がかかる可能性があるので、その場合は全身麻酔の手術と言われた。

これ以上曲がらないようにするのが基本方針で、樹脂と金属でできた装具をがっちりと四六時中つけ、冬は暖かくて良かったが夏はひたすら暑かった。熱が逃げないのである。

体育の時は外して良かったが、見た目にいかつい装具を級友にみられるのは抵抗があり、初々しい中学一年生の初期は保健室で着替えていた。その後そんな恥じらいも消え去るのが女子校である。

成長期が終わればこれ以上曲がることもないということで、中学三年生の頃に装具生活は終了した。

役目を終えた装具くんは捨てに捨てられず、ずっと我が家の片隅でポスター入れとなっていたが二年前にようやく捨てた。

背骨が曲がっているので左右でかかる力が異なり、腰を痛めやすい。腰に爆弾あってー、なんて冗談混じりに言っていたが、もっと爆弾だったのは血液でした。

(続く)