映画の何にひかれるか。
久々にブログを書いてみようか、という気になったので、書いてみる。
最近あまり言語化していないので少し言語化の癖をつけようと思う。
ここ最近は、あまり美術館に行っていない。
好みのものがないのだ。
私の好みは偏っていて、ルネサンスの宗教画がどストライクに好み。
基準は簡単。作品の中に物語があるかどうか。
ジョットとかも好きだし、レンブラントとかそのへんくらいまでも好き。
西洋美術史の中では結構花の時代だと思っているのだが、どうやらあまりそのへんの展覧会というのは開かれない。
日本美術史は知識がないので楽しみ方がわからないのと、どうもキュンキュンこない。
印象派は楽しみ方が分からない。(大学時代のゼミの教授がそのへんご専門の方だったので、知識はちょろちょろあるんだが)
最近はようやく現代美術の楽しみ方もわかってきたのだが、あまりにぶっ飛んでいると分からん。
どちらかと言えばこの数ヶ月は映画。
今年の5月末まで所属していた部署の上司がかなりの映画好きで、映画を見るたびに元上司に報告メールをしている気がする。
映画は何が好きなのか。何を基準としているのか。
美術賞をとる作品はどれも映画の中の世界がビジュアルとして構築されている。
それを見るのが好き。
現実とは違うファンタジーの世界であったり、現実の続きなのにしっかりとその映画の世界へ連れて行ってくれる。
すごいよなぁ。ほんのワンシーンがずっと残って、その映画のことを考えると1番に思い出されるんだから。
あとは、ミュージカル映画。
『雨に唄えば』を先週ようやく見たのだが、非常によい映画であった。
雨の日がほんの少しだけ楽しくなったし、ほんの3分であれだけ人を幸せにできるというのはミュージカルの力だ。
最近のミュージカルも結構見てます。
ベストは「シカゴ」と「ムーラン・ルージュ」。
歌にダンス、舞台装置、キャスト。
すべてがパーフェクトに揃って映像の力が発揮されるのがミュージカル。
こう書いていくと分かるが、どうも私は視覚的に訴えてくるものが好きらしい。
音楽も色々聞くけれど、PVが好きで入るものもある。GAGAはそうだし。
眼を楽しませるということを忘れないでいたい。
楽しむ心を持ち続けるくらいの余裕はもたないと。
なんだかまとまりのない文章になってしまった…。
フェルメール 《地理学者》 と オランダ・フランドル絵画展
フェルメール展へ。
お目当てはもちろんフェルメールの《地理学者》。これの対と言われる《天文学者》を以前ルーブル美術館で見たときに感動したため。
フェルメール《地理学者》
さすがのフェルメール。
立体的で、窓からの光で照らされている部分が本当に明るい。どこに光が当たっているかわかる。
あとは、フェルメールの作品どれにも共通していることだけれど、細部まできっちりと描かれていて、まるで枠の向こうの世界を覗いているかのよう。
他の作品と見比べるとわかる。緻密。リアリティーさが他と格段に違う。
ちなみにこの二つの作品のモデルは同一人物との見方もあるらしい。
確かに似ていますもんね。地理学者と天文学者。どちらも海の覇権を握ったオランダでは重要な職業だったんでしょう。
あと、へぇと思ったのが、着ている服が着物だそうで。たしかに!
(そういやスターウォーズのジェダイが着ているのも確か着物がモデル。
西洋人から見ると何か惹かれるモノがあるんでしょうかね)
他にも気になる作品がいくつか。
レンブラントはあまり詳しくないのだけれど、さすが光と闇の魔術師、レンブラント。
若いときの作品らしいですが、陰影が素晴らしい。
市民社会オランダ、と思ったのが、トーマス・ド・ケイザーの様式《ニ匹の犬を従えた馬に乗る男》
(画像は見つけられませんでした)
どっからどう見ても、フェルメールの《カール5世》
王と同じ形式で一市民が描かれる時代になったのね、と思ってしまいました。
全体的には満足。
年末にはまたBunkamuraでフェルメール展が開催されるらしいので楽しみにしています。
あとは、レンブラントのお勉強をしたいな。
『アルフォンス・ミュシャ展』三鷹市美術ギャラリー
テレビにてミュシャ展の宣伝を見たので、行ってみました。
一応、大学時にポスターの歴史の授業をとって、ミュシャについて軽く調べたのと、アール・ヌーヴォーの話もちょこちょこ調べたことがあったので、多少の下知識はあり。
ミュシャ、と一目で分かるポスターはキレイ。ずいぶん多くのものをデザインしていたんだなぁと。
似ているものも多いけど、色々なものを女性に例えている。花はもちろん、音楽・絵画などの概念、月、太陽、明けの明星などの天体、季節、12ヶ月 etc
ポスターのデッサンも同時に展示されていたものもあったのだけれど、デッサンのほうが色いいな、と思うものも少々。
ポスターの印刷の限界なのか、それとも年月が経って色があせてしまったのかは分かりませんけど。
とはいっても、今回観に行った理由は、テレビで見たときにミュシャの油絵が面白そうだったから。
主に油絵を描いていたのは、ポスターで有名になる前と、有名になったあとに故郷のチェコに帰ってから。
有名になる前の作品は、歴史画や聖母子像などわりとメジャーな分野な作品。聖母子は素敵だった。
しかし、それ以上に響いてきたのが、チェコに帰ってからの作品。
民族自決、のようなメッセージ色が強い作品が多かったのだが、ポスターを描いていた頃から10年も経たぬうちにこんな作品を描いたのか…と。
戦場の暗い絵もあったし、チェコの歴史上の人物と独立、とか英知、とか概念を組み合わせたものがあった。プラハ市民会館市長ホールの原画、というやつです。
これがすごかった。
連作で、ミュシャっぽくなくて、でもすごく力があった。ポスターよりこっちのほうが心に残る。
美術展に行ってよかった、と思った瞬間。
ということで、作品自体は非常に満足。作品自体はね。
この展覧会のマイナス点は、三鷹でやったことか。
まず会場の広さと作品数が合ってない。もう少し作品は間隔をあけて展示していただきたい。
通路も狭い。
あとは、普段はあまり人が来ないのか、グッズ売り場のレジが一つしかない&狭いために、大行列。
初めて見たぞ、グッズ売り場での長蛇の列って。ポストカード買いましたけどね。
(しかし、ポストカードも、ポスターのミュシャっぽい柄しかなくて非常に残念。図録を買う気にはならないし)
それでも、普段上野や六本木のような巨大美術館ではあまり見ない、中高生とか家族連れのような、ふらっと気軽によってみました、みたいな人が結構多かったのは、いいことだと思う。
うーん、美術館に行くことのハードルを下げることと、会場の大きさと、展覧会の質。この3つのバランスをとるのって難しいのだろう。
『マネとモダン・パリ展』三菱一号館美術館
せっかくなので、美術展の話もしましょうか。
先日行ってきたのが、『マネとモダン・パリ』展。三菱一号館美術館開館記念。
正直なところこのあたりの絵はあまり好みでないのですが、どちらかと言えば三菱一号館美術館の建物自体に興味があったので。この先はあんまり大きいのこないし。
まず展覧会自体。
マネは印象派にしては珍しく黒を使うのが特徴。たしかに黒のある絵のほうが引き締まって見えていて好き。
ベルト・モリゾのの肖像画が何点かきていたけれど、あの肖像画はどれも黒。他のよりも私は好きでした。
あと、面白かったのは油絵よりもイラストやエッチング。イラストも黒一色の猫や動物の絵。
本の表紙に使われていたんだっけな。このころに印刷技術がだいぶ発展して、ちょうどポスターなんかも花開いた頃なんですよね。そういや、マネもちょろっと描いていたっけ、と甦る授業内容。
イラストは変わった構図のものが多くてもしやこれは…と思って図録を見たら、やっぱり北斎漫画の影響が指摘されていました。
よし、これはイラストのポストカードを買うぞ!と意気込んでミュージアムショップに行ったら、残念ながらありませんできた泣 ポストカードは印象派な絵ばっかりだった…。自分の好みの作品が商品化されていないと切なくなる。
そうそう、ここのミュージアムショップ、ずいぶん充実していました。
ちょっと面白い雑貨が多くって。国立新美術館のミュージアムショップも力入っているけど、最近の美術館は絵画展以外にもお金かけるんですね。目玉の一つにしたい様子。
お目当てだった建物は古い感じがところどころ残っていて、懐かしい感じでした。
壁はレンガで、どうやらカフェに入るとずいぶん良い雰囲気だったようですけど、そっちはまたの機会にってことで。
中は古い建物だから空調とか大変だろうな、と思っていたら、部屋がずいぶん小分けにされていて、温湿度調整に設備がだいぶ投入されている様子。
美術館を想定して建てられた建物ではないからそういうところが大変だそうです。(と以前、ここの設計に加わった人の苦労を又聞きで聞いた。)
マネ展自体は、まぁマネ好きとポスター好きと印象派好きには楽しいものかな。私もマネの印刷物に興味をもてたので、収穫のある美術展でした。
不満はあのチケットだよなぁ。森美術館のチケットもそうなんだけど、展覧会ごとのチケットではなく、ただの文字の印刷だからつまらない。展覧会ごとに目玉のポスター使ったチケット作ってください、本当。
このあたり私設美術館の限界なのかしら…。寂しい限り。
《受胎告知》を絵画であらわすと。
何から話そうか考えましたが、やっぱりキリストの一生から入るのがオーソドックスでしょう。
ご存知、キリスト教の創始者。西暦は彼の誕生した年を基準としておりますが、近年の研究では数年ずれてるらしいです。
さてそんな彼は生まれたときからちょっと変わっておりました。正確には生まれる前。
父は神だからね。
母マリアのところに天使ガブリエルが来て「あなたは神の子を宿している」と言いました。
当時マリア未婚。(婚約者のヨセフがいましたが。)
マリアは当然驚きますが、天使の説得にその事実を受け入れます。
以上、これが受胎告知。
聖書の箇所でいえば、「マタイによる福音書 1章18節から25節」「ルカによる福音書 1章26節から38節」。
さて、これを絵画で表してみましょう。
シモーネ・マルティーニの《受胎告知》(1333年)(一部)
登場人物は
・天使ガブリエル(この絵では左)
・聖母マリア(右)
基本的にはこの二人です。
ガブリエルの特徴として
・天使なので羽があること。
一方マリアは
・赤と青の洋服
・本(聖書)を読んでいる、または持っていることも。
二人の背後が金に光っていることもあります。聖人の証です。
あとよく描かれるものは2つ。
・白百合…これは純潔の象徴。マリアの処女降誕を表してます。
・鳩…鳩は神の使い。神のお告げということです。
この絵では鳩はいませんね。
この作品の特徴は2つ。
一つ目。文字。
天使とマリアの間に何か文字らしきものが書かれているのが分かりますか。
これは天使の口からマリアに向かって、天使のセリフが当時の言葉で書かれています。(ごめんなさい、なんて書かれているのかは忘れました)
古い時代の絵だとよく該当する聖句が書かれています。だんだん時代が経つにつれてなくなるんですが。
二つ目。マリアのポーズ。
マリアも天使の言葉に恐れて、身を後ろによじらせていますね。
このマリアのポーズというのも作家によって描かれ方が色々あります。
次回は、他の画家の描いた《受胎告知》を比較してみます。
宗教画について。
絵の解説をする前に、宗教画について少しお話させてください。
そもそも西洋美術史において、宗教画といえばキリスト教画です。
より正確に言えば、ルネサンス以前の絵画といえば宗教画がほとんど。ルネサンスになって神話画や肖像画がすこしずつ増えてきて、後に風俗画、風景画が出てきました。
とはいっても主にアカデミーでは風景画、風俗画は長い間、宗教画や神話画より格下の絵画として扱われていました。人気はまた別の話です。
現在美術館に所蔵されている絵が描かれた目的は色々なのですが、西洋に行ったときに教会に行ってみてください。そりゃもう宗教画のオンパレードです。
歴史ある美術館に行っても、宗教画が多いはず。
なぜか?
絵画が描かれた頃、聖書(というより文字)を読める人はわずかでしたし、そもそも紙が貴重品でした。(紙の普及は西洋より東洋のほうが早い)
羊皮紙に書かれた聖書は教会の祭壇に鎖つきでぼーんと1冊ある程度。
では、一般人はどうやってキリスト教の話を知っていたのか?
そこで登場するのが祭壇画やステンドグラスに描かれた聖書の話を題材としたものです。
要は、絵画は布教の道具です。
美術館に収蔵されている絵画になるとまた色々な意味が含まれるのだけど、基本的には信仰心の表れ。
というわけで、聖書の話さえ分かれば宗教画は楽なんです。
絵画の題材に使われるのも定番がありますし。日本では馴染みがないから取っつきにくいだけ。
色々と難しい意味を込めているものも多いですけど、基本は同じ。
このブログでは、宗教画を中心に絵画読み解きをしながら、こんなところを見ると面白い、というのをつらつらと述べていきます。
一応手元に聖書はありますし、色々美術書も読みましたが、あくまでも私流の見方です。キリスト教徒ではありませんし、絵画の読み方にも説が複数出ているものも多いです。
そんなことを了承の上、お付き合い頂ければ幸いです。
新装開店予定
無事に社会人になり、なんとか1ヶ月を超えそうです。
とはいってもまだあと2ヶ月研修で、そのあとの配属もひたすらお勉強する部署なのですが。
社会人になって、時間がなくなり、あぁ本当に社会人って目標持たないと毎日ダラダラ過ぎてしまうな、と痛感いたしました。
じゃぁ目標ってなんだろう、と1ヶ月考えて、うん、やっぱり美術好き、という結論に至りました。
ここ最近、美術史を専攻していたというと意外と食いついてくれる人が多い。(というより珍しがられるのですけど。)
イタリアルネサンスあたりの宗教画が好きだ、というとだいたい「分かりにくい」と言われる。
いや、宗教画って分かりやすいんですって!!
とはいうものの、美術ってどうしても絵を見せながらでないと話せない。
なのでなかなかお話ができない。
じゃぁもしかして、意外と美術に興味ある人っているんじゃない? わかりにくそうと思って足出しにくいんじゃない?
と考えたので、美術のお話をちょこちょこしていこうかと思います。
果たしてどれほどの頻度で更新できるかわかりませんけど、なるべく更新していきます。